プラッツのはじまり/スペシャルインタビュー

プラッツはどのようにして誕生したのか。どんな仕事をして現在のような会社になったのか。
四条制作室デザイナーの中川が柳森取締役にスペシャルインタビュー。
プラッツのはじまり、そして未来について語ってくれました。

中川

プラッツはどのようにして誕生したのでしょうか。

柳森

元々は印刷会社の近くに2階建ての小さな事務所を借りて、制作会社を始めたのが スタートやった。1階は広場みたいにみんなが集まっていて、2階は印刷物の制作をする という仕事のやり方をしていたから、ドイツ語で「広場」という意味のプラッツという 名前にしたんや。当時は印刷会社に仕事持って行く営業さんのたまり場みたいな 雰囲気やった。休憩がてら仕事の話をして「よそに持って行く仕事のついでにうちにも 置いていってよ」みたいな場所にしたかったから、待ち時間に好きになように 過ごしてもらっていた。漫画やコーヒーを置いたりして、気軽に休憩できる喫茶店 みたいな感じやね。

中川

なぜそのような場所を作ったのですか?

柳森

プラッツを作る前に営業として働いていた時に、休憩しながら人と交流できる 場所がほしいなと思っていたから、それを実現させたんや。 1階にやってきた営業さんが持ってきた急な仕事も2階ですぐにできたのが 強みやったね。「30分でできるからコーヒー飲んでてー」って感じで待って もらって、できたものをそのまま印刷に回せたから、営業さんにとって 使いやすい事務所になれたと思う。

中川

営業さんが持ってきてくれた仕事というのは、 どういったものが多かったのですか?

柳森

あの時はきもの関係が一番多かったなぁ。全盛期でよく売れていた時期 やったし。呉服屋さんの仕事をもらってくる営業さんの下請けをやっていたん やけど、下請けばかりやと利益が出づらいから、印刷まで扱う元請けの仕事を 目指そうと思ったんや。借りていた事務所を出るのと同時に、どんどん元請け の仕事に変えていった。飛び込み営業でいろんなところに行って仕事をもらっ てきて、今に至るような感じ。そこから形態としては変わらずに続いているな。

中川

自動車関係の取引先が増えたきっかけはなんですか。

柳森

当時の事務所にいた時、近くに自動車屋さんがあって、そこに営業に行った ことがきっかけなんや。毎日のように営業に行って色んな仕事をもらうように なって、自動車関係の広がりができた。そのタイミングで「自動車関係で こんな仕事をしています」とプラッツの仕事を紹介したDMをいろんな 車屋さんに送ったのが一番効いた。関東方面にも送って、ウイークリーマン ションを借りて、そこを拠点に関東の仕事を増やした。そんな感じで色んな 地域にDMを撒いて、営業活動を広げていったんや。

中川

関西だけじゃなくていろんな地域で営業活動をされたんですね。

柳森

関西には自動車屋さんが少なかったから、東海地方や関東の北の方、埼玉や 群馬によく行っていた。大変だったけど楽しかった。 知らないところで一発目の仕事がもらえたら「やった!」と思えたし、「DMを 見たから営業に来て」という電話もあってそれも嬉しかったなぁ。 新車で買った営業車は、3年で16万キロ乗ったんや。地球4周分くらいやな。 その車で日本中走っていて、北は仙台、南は広島が多かった。 自動車関係の人に紹介してもらって、さらに取引先が増えて…という感じで 繋がりができていった。

中川

今でも社長はいろんなところに行かれますが、当時から付き合いのある 会社さんにも行かれるのですか。

柳森

仕事の話というより、他の話が多くなるけど、繋がりを意識して話に行っ ている。大事なことやからね。

中川

設立25周年を迎えて、社長の考える今後のプラッツの展望を教えてください。

柳森

これからはみんなが自主性を持って、会社全体を盛り上げていってほしい。 企画を立ち上げて終わりではなく、継続的にいろんな発想を持って仕事取り 組み発展させて欲しい。人や会社の繋がりは何かアクション起こさないと 始まらないから、どんどんいろんなことをチャレンジして欲しいな。

中川

本日はありがとうございました。

柳森

ありがとうございました。